5【乳がん告知まで】要精密検査
〜始まりは「要精密検査」〜
私が乳がんを告知されたのは、2021年10月のことでした。
毎年8月に受けている健康診断に、その年は初めてマンモグラフィーと超音波検査をオプションで追加。
それまでも、32歳を過ぎてからは毎年7月にこの2つの検査は受けていました。
検査を受けていたのは自宅近くの総合病院でしたが、
会社の健康診断の病院が変更となりオプションを付けれることになりました。
「1ヶ月遅くなっちゃうけど大丈夫かな?去年も大丈夫って言われたしいけるよね」と、少し胸騒ぎがありましたが、健康診断で受診することにしました。
今思い返してみると、超音波検査の際に技師さんが何回も何回も右側の胸を確認されていました。
リラックスしてポケ~っと検査を受けていた私と目が合い、
「何回も見られると不安ですよね。結果は先生からご説明がありますので。」と言われました。
その時、私はまさか自分が乳がんだとは思ってもいなかったので、「は~い」と聞き流していました。
その時、私はバリウム検査でゲップを我慢できるかということで頭がいっぱいでした。
その時、技師さんはもしかしたら病気を疑っていたのかもしれません。
その3週間後、これまでオールAだった私が初めて「要精密検査」の結果を受け取りました。
「えーーー!」と思って書類を確認すると・・・
マンモグラフィー 「カテゴリー3:石灰化あり。要精密検査」の文字が。
この時も、私はまだのん気に受け止めていました。
毎年の検査でも「右側にのう胞がありますが心配はいりませんよ」と言われていたし、
私は出産後ものすごい量の母乳が出ていて何回も乳腺炎になってしまう程だったので、
「母乳の残りカスか、毎年言われているのう胞で再検査になってるんだろうな」と気楽に捉えていました。
とはいえ初めての「要精密検査」です。
書類を受け取ったその日に、毎年検査をしている総合病院に予約を入れました。
9月17日に電話をして、予約が取れたのは1か月後の10月17日でした。
コロナ禍でなかなか予約が空いていないと言われ、「早くすっきりさせたいのにコロナのやつめ!」と思ったことを覚えています。
その日、同じ部署で働く会社の先輩も偶然にも、同じ検査で「要精密検査」の結果を受け取っていました。
お互い、
「要精密検査になっちゃったけど、たぶん大丈夫でしょ~!」と言い合い、再検査の予約を取りました。
先輩もなかなか予約が取れず、私と同じぐらいの時期に再検査でした。
結果、先輩の方は大丈夫でした。
好発年齢であり、出産授乳経験なしの先輩でしたが、大丈夫でした。
リスク要因としては、圧倒的に私の方が該当が少ないにもかかわらず、私は乳がんでした。
検診の大切さを実感します。
後述しますが、その先輩が「あなたが戻ってくる場所はどれだけ時間がかかっても私が死守しておくから、安心して治療を受けて帰っておいで。」と言ってくださったことは本当に本当に有り難く、今思い出しても目頭が熱くなるぐらい嬉しいことでした。
初めて購入したユニバの年パスの期限がもうすぐなので、夏休みラストの夕方から行ってきました。
子ども達と途中の駅で待ち合わせ!
待ち合わせ場所で私を見つけると、とびきりの笑顔で手を振ってくれました。
「2人でここまで来れたよ〜!」と。
しっかり者のお姉ちゃんと、大胆な弟。
何かに挑戦する時には相性のいい姉弟かも。
この夏はまた一つ、子ども達の成長を感じて嬉しくなりました。