ゆきんこ日記 〜目指せ元気なおばあちゃん〜

38歳で乳がんになってしまったゆきんこです。ルミナルA、ステージ1、全摘&自家組織で再建、ホルモン療法について書いています。

6【乳がん告知まで】マンモトーム生検

〜まさかのマンモトーム生検〜

 

2021年10月17日。

午前中の予約だったと思いますが、お昼前ぐらいに診察に呼ばれました。

 

とても綺麗な女医さんが笑顔で迎えてくれました。

これが主治医との出会いでした。

 

「せっかく来てお待ち頂いたのですが、持参されたマンモグラフィーの画像の読み込みがうまくできませんでした。

確かに指摘された箇所に石灰化らしきものが見えますが、画像が不明瞭で判断が出来かねます。

今日またマンモグラフィーの画像を撮るとなると、急なので更に待ってもらうことになります。

経過観察として、また3か月後にご来院頂く形にしましょうか?」


と、主治医から3ヶ月後の再診を提案されましたが…

「今日撮るのは難しいでしょうか?」と勇気を出して伝えました。


すると、

「これ以上お待たせするのが申し訳ないなと思ったのですが、お時間あるなら今日撮りましょう!」と言ってもらえ、撮ってもらえることになりました。

この時点で3時間近く病院にいましたが、モヤモヤしたまま帰りたくないという一心でした。


 更に2時間ほど待ち、マンモグラフィーの撮影となりました。

その後診察室にて、

「今日撮ってよかったです!3ヶ月でそんなに悪くなることは無いと思うのですが、でも今日撮っておいて良かったと思います。この石灰化の箇所を再度超音波で見させて頂きます」

 と言われました。

 

この時、私は初めて危機感を持ちました。


超音波の画像を見ながら主治医の表情が固くなりました。

「うーん…形は綺麗だからわかりづらいけど…怪しいと思ってみるからそう見えるのか…

生研をしたいのですがよろしいでしょうか?」と、あれよあれよと生検の説明が始まりました。


後からこの生検が「マンモトーム生検」ということを知りました。


太い針を刺すこと、

痛いので麻酔を胸に打つこと、

吸引式ですごい音が出ること、

3回程組織を吸引すること、

怖すぎる説明に息が荒くなりました。

 


主治医がそれに気付き、

「息を吐いてください。過呼吸にならないように、意識して息を吐いて下さいね」と優しく伝えてくれました。

怖くて震えながら、必死で息を吐くことに集中しました。


麻酔後、切開されている患部からの生暖かい血が、背中までつたわるのを感じながら、


「がんなのでしょうか…?」

思わず、口からこぼれました。

 


「うーん…それを調べるための検査です。万が一陰性でも、MRIを受けて頂いて経過観察にはなります。これで終わりにはならないです。」

と説明するマスク越しの主治医の顔を見て、あぁがんかもしれないと思いました。

 


バチン!

バチン!

バチン!

聞いていた通りの大きな衝撃が3回。

 


終わった瞬間、冷たい涙が目から一筋こぼれました。

そこから帰宅までの記憶はほとんどありません。

 

 

ヘトヘトになって帰宅すると、たまたま母がいて、検査に行ったことがバレてしまいました。

 


母は驚き、

「お母さんの友達も針生検したけど、異常なしだったよ。だからきっと大丈夫だよ。」

と慰めるように言ってくれました。

 


それは針生検で、マンモトーム生検ではきっとないのだろうと思いつつも、

「そんなこともあるんやね。そうやったらいいなぁ。」と答えたのを覚えています。

 


主人にはLINEで事前に伝えていましたが、帰宅すると見たこともないぐらい心配そうな顔で私を見つめました。

 

「がんって確定じゃ無いし、来週の結果わかる日まで、調べたら不安になるからあんまり調べんとくわ。

素人にはどれだけ調べたってわかれへんしね。」

と、心配させまいと明るく話すと、なにも言わずに抱きしめてくれました。

 


心配させたく無くて泣くのを我慢していたのに、ちょっとだけ涙が出ました。

気づかれないように誤魔化していましたが、ばれていたかもしれません。

 


来週の結果は一緒に聞きに行くと言ってくれて、内心とてもほっとしたのは、自分の中できっとそうなんだと確信があったからかもしれません。

 

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今年の夏はたくさん海へ遊びに行きました〜!

息子が海の生き物やシーグラスを見つけるのがすごく早くて、毎回びっくり。

 

 

5【乳がん告知まで】要精密検査

〜始まりは「要精密検査」〜

 

私が乳がんを告知されたのは、2021年10月のことでした。

 

毎年8月に受けている健康診断に、その年は初めてマンモグラフィーと超音波検査をオプションで追加。

それまでも、32歳を過ぎてからは毎年7月にこの2つの検査は受けていました。

 

検査を受けていたのは自宅近くの総合病院でしたが、

会社の健康診断の病院が変更となりオプションを付けれることになりました。

「1ヶ月遅くなっちゃうけど大丈夫かな?去年も大丈夫って言われたしいけるよね」と、少し胸騒ぎがありましたが、健康診断で受診することにしました。

 

今思い返してみると、超音波検査の際に技師さんが何回も何回も右側の胸を確認されていました。

リラックスしてポケ~っと検査を受けていた私と目が合い、

「何回も見られると不安ですよね。結果は先生からご説明がありますので。」と言われました。

その時、私はまさか自分が乳がんだとは思ってもいなかったので、「は~い」と聞き流していました。

その時、私はバリウム検査でゲップを我慢できるかということで頭がいっぱいでした。

その時、技師さんはもしかしたら病気を疑っていたのかもしれません。

 

その3週間後、これまでオールAだった私が初めて「要精密検査」の結果を受け取りました。

「えーーー!」と思って書類を確認すると・・・

マンモグラフィー 「カテゴリー3:石灰化あり。要精密検査」の文字が。

 

この時も、私はまだのん気に受け止めていました。

毎年の検査でも「右側にのう胞がありますが心配はいりませんよ」と言われていたし、

私は出産後ものすごい量の母乳が出ていて何回も乳腺炎になってしまう程だったので、

「母乳の残りカスか、毎年言われているのう胞で再検査になってるんだろうな」と気楽に捉えていました。

 

とはいえ初めての「要精密検査」です。

書類を受け取ったその日に、毎年検査をしている総合病院に予約を入れました。

9月17日に電話をして、予約が取れたのは1か月後の10月17日でした。

コロナ禍でなかなか予約が空いていないと言われ、「早くすっきりさせたいのにコロナのやつめ!」と思ったことを覚えています。

 

その日、同じ部署で働く会社の先輩も偶然にも、同じ検査で「要精密検査」の結果を受け取っていました。

お互い、

「要精密検査になっちゃったけど、たぶん大丈夫でしょ~!」と言い合い、再検査の予約を取りました。

 


先輩もなかなか予約が取れず、私と同じぐらいの時期に再検査でした。

結果、先輩の方は大丈夫でした。

好発年齢であり、出産授乳経験なしの先輩でしたが、大丈夫でした。

リスク要因としては、圧倒的に私の方が該当が少ないにもかかわらず、私は乳がんでした。

検診の大切さを実感します。

 


後述しますが、その先輩が「あなたが戻ってくる場所はどれだけ時間がかかっても私が死守しておくから、安心して治療を受けて帰っておいで。」と言ってくださったことは本当に本当に有り難く、今思い出しても目頭が熱くなるぐらい嬉しいことでした。

 

 

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初めて購入したユニバの年パスの期限がもうすぐなので、夏休みラストの夕方から行ってきました。

子ども達と途中の駅で待ち合わせ!

待ち合わせ場所で私を見つけると、とびきりの笑顔で手を振ってくれました。

「2人でここまで来れたよ〜!」と。

しっかり者のお姉ちゃんと、大胆な弟。

何かに挑戦する時には相性のいい姉弟かも。

この夏はまた一つ、子ども達の成長を感じて嬉しくなりました。

 

4【乳がん告知まで】原因

〜原因は?〜

 

なんでがんになってしまったんだろう。

 


がんを発症してしまったら、きっと誰もが考えることだと思います。

 


乳がんのリスク因子で当てはまるものが「受動喫煙」しか無かった私は、告知されたばかりの時はそれが原因としか考えられませんでした。

 


親族にがん発症者がいなかったことから恥ずかしい程がんに対して無知でしたが、勉強し、知識を得て、様々な要因が重なって発症することを知りました。

私が乳がんになってしまった本当の原因が何なのかはわかりません。

でも、自分のこれまでの生活を見直した結果、下記の要因も重なって発症、もしくは病気を加速させたのではないかと考えています。

 

 

 

◼️運動不足◼️

めちゃくちゃ運動音痴のため、運動嫌い。

全く運動してなかった。

 


◼️ストレス◼️

発症する前の年に保育園の保護者会役員に当たってしまい、中心人物としてクレーム対応・コロナ対応に当たり心労がすごかった。

 


◼️睡眠不足◼️

保護者会役員に加え、仕事のスキルアップのため睡眠時間を削って勉強していた。

一年半ほど、睡眠時間が4〜6時間の日々を続けていた。

 


◼️スイーツ好き◼️

スイーツが大好きで、毎日何かしらお菓子を食べていた。

 


◼️肉食◼️

娘が魚嫌いのため、週5肉・週2魚と肉多めの食生活。野菜もたくさん食べていたが、お肉を食べる頻度が多過ぎたかも。

 


◼️肥満◼️

出産後から徐々に太り、最終的に158センチ53キロに…。

適正体重は人によって違うとは思いますが、運動をしていないので筋肉が全く無いのにこの体重。身体が重たい実感ありあり。

 


現在は、再発予防として上記に気をつけて生活をしています。

 


その結果、長年悩んでいた肩こりと肌荒れが全く気にならなくなりました。

きっと今の生活が自分の身体には合っているんだろうと思い、続けて行こうと思っています。

 

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昨日は白浜旅行へ。

魚釣りをしたところ入れ食い状態で、子ども達も大喜びでした。

 

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綺麗な色のお魚も釣れてびっくり。

眠そうな目をしたお魚が可愛かったです。

 

 

 

3【乳がん告知まで】プロフィール(病理検査結果)

私の病理検査結果を含む、プロフィールです。

 

1983年(昭和58年)産まれで、38歳の時に乳がん発症。

発症時、祖父母・父母・おじおばに癌の既往歴無し。

祖父母4人の内、3人は既に他界しているのですが、 3人とも老衰という家系でした。

 

そのため、癌に対する知識はゼロに等しく、

恥ずかしながら「癌=死」 というイメージしか持っていませんでした。

 

 

■手術前の病理検査結果■

ホルモン受容体:エストロゲンプロゲステロン共に陽性

HER2:陰性

サブタイプ:ルミナルA

グレード:1

Ki-67:3%

浸潤癌の大きさ:6mm

非浸潤癌の大きさ:CTの結果、広範囲のため全摘を勧められる

リンパ節転移:恐らく無し

 

 

■手術後の病理検査結果(ほぼ変わらず)■

ホルモン受容体:エストロゲンプロゲステロン共に陽性

HER2:陰性

サブタイプ:ルミナルA

グレード:1

Ki-67:1%

浸潤癌の大きさ:9mm

非浸潤癌の大きさ:6cm

リンパ節転移:無し

 

 

非浸潤癌がかなり大きくゾッとしましたが、 浸潤癌の大きさによりステージ1の結果でした。

素人考えなのですが…

私は胸が大きいのですが、もし胸が小さかったら6c mも広がる場所が無く転移していたのでしょうか…?

色々想像すると怖すぎます。

 

25歳からは2年に1回、32歳を過ぎてからは毎年マンモグラフ ィーと超音波の検診をしていたのに全摘になるなんてと、 当時は悲しさと悔しさしかありませんでした。

2年を経て、 今は検診のおかげで生き永らえた命だと思っています。

 

市の検診は40歳からなので、 毎年検診を受けていたと伝えるとよく驚かれますが、当時大きなニュースになった小林麻央さんの一件で、 私は毎年検診を受けるようになりました。

子どもの性別も同じで年齢も近かったため、 とても他人事とは思えず、闘病ブログを祈るような気持ちで拝見していましたので、 他界された時はショックが大きかったです。

勝手ながら小林麻央さんに救って頂いた命だと思っていますので、 残されたご家族の幸せを心の底から祈っております。

 

告知された際には癌の大きさは小さいとの予想だったので、 部分摘出が出来ると期待していました。

ですが、CTの結果非浸潤癌が広がっていたため残念ながら全摘出となりま した。

 

告知されたのが10月23日、手術が11月17日とその間わずか 3週間程。

その間に結果を受け入れ、自家組織での再建手術を決めました。

主治医、形成外科の先生、乳腺課の看護師の方々、緩和センターの看護師の方、 皆様に支えて頂いたことで、

悔いなく短期間で決断を下すことが出来たことを、 感謝してもしきれません。

 

今まで生きてきて1番辛い、暗闇の中にいる3週間でしたが、今振返ると感謝の気持ちばかりを思い出せるのは、 医療従事者の方々のご配慮のおかげだと思っています。

 

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先日、初めてアロマワックスサシェを作ってみました。

娘のピアノの発表会で戴いたたくさんの花束をドライフラワーにして、ラベンダーのアロマを入れて。

思い出を綺麗に残せて大満足。

次はもっと上手に作れるかな〜娘も喜んでいたしまた作ろう(^人^)

2【乳がん告知まで】まさか私が

「まさか私が」

 

告知された時、どれぐらいの人がこう思うのでしょうか?

私はまさに「まさか私が」とそっくりそのままその通りに、 そう思いました。

 

私は女性ホルモン受容体陽性の乳がんでしたが、女性ホルモンに関連する乳がんのリスク因子には全て当てはまりませんでし た。

初潮年齢が早い → 小学6年生の夏

出産歴がない → 2人出産

初産年齢が遅い → 27歳で1人目出産

授乳歴がない → 2人とも完全母乳で1年以上授乳

喫煙・アルコール摂取 → ゼロ

 

また、祖父母、父母、おじおば、近しい親族に癌の既往歴はありませんでした。

 

娘が小麦・卵アレルギーだったので、 添加物にも気を付けていました。

野菜中心の食生活でした。

 

ただ1つだけ、気になるリスク因子がありました。

受動喫煙」です。

受動喫煙乳がんの発症率を高める可能性があると言われています。

 

私の両親は、私が物心ついた頃からヘビースモーカーで、 家の中でも常に煙草の煙にされされている中で育ちました。

恐らく20年近く、 ずっと受動喫煙の煙を吸い続けていたと思います。

それが原因なのかはわかりませんが、両親のせいで癌になった「 かもしれない」と思ってしまうことが辛かったです。

それについて、自分の心の中で折り合いをつけるのがとても難しく、 時間がかかりました。

 

小学校高学年の家庭科の授業でしょうか。

煙草が身体に悪いこと、 受動喫煙で癌になるリスクが上がるということを聞いた私は怖くな り、帰宅後、母にこう伝えました。

「煙草はすごく身体に悪いからやめてほしい。 受動喫煙でも癌になるねんて。

大きくなった時に、 お母さんのせいで癌になったなんて思いたくないから、 今すぐやめてほしい。」と。

それに対して母はこう言いました。

「お母さんのストレス発散やねん。 これが無くなったら毎日めっちゃ機嫌悪くなるけどいい?」

お母さんは私が病気になるよりも、 自分のストレス発散の方が大事なんか… と思ったことを覚えています。

 

父親には言ったのか言ってないのか記憶はありません。

怒られるのが怖くて悩んだ末に、言えなかったのかもしれません。

 

このような経緯があったからこそ余計に、 両親への怒りが湧いてきてしまいました。

 

これだけ見るとひどい親に思えるかもしれませんが、両親が愛情をたくさんかけて大切に私を育ててくれたことは確かです。

特に自分が親になってからは、両親に感謝することばかりでした。

幼少期には海外に住んでいたのですが、2人揃って英語が全く話せなくて苦労していても、帰国後しばらくして会社が倒産しても、決して暗くならず明るく前向きに何不自由なく私を育ててくれた両親です。

感謝しかありません。

 

そんな感謝でいっぱいの両親に対して、怒りをぶつけたい気持ちがどうしても消せませんでした。

もし娘にそんなことを言われたら…私なら耐えられないし、 後悔してもしきれない。

どれだけ怒りをぶつけたくても、両親には絶対に言ってはいけない

そう思いました。

 

告知から手術までの間に、たくさんの山を乗り越えたのですが、

今振り返ると、 両親への気持ちの折り合いの付け方を見つけることは、 私の中では大きい山だったと思います。

 

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バケーション中もお仕事熱心な父。

休むことが苦手な昭和の熱血サラリーマンです。

 

 

 

 

1【乳がん告知まで】病歴

早速ですが、私の病歴です。

 

2021年8月 健康診断でマンモグラフィーカテゴリー3の要再検査

2021年9月 マンモトーム生検

2021年10月 告知

2021年11月 全摘・再建手術

2021年12月 断端陽性のため追加手術

2022年1月 リュープリン注射・タモキシフェン服用開始

 

 

早いもので2年が経過しました。

告知された時は先が見えない暗闇の中にいましたが、 今は信じられない程穏やかに幸せな毎日を過ごせています。

 

もし、今、告知されて、絶望の中にいらっしゃる方は希望を失わないでほしいと切に願います。

 

2年経過した今でも、 片胸を失ったことを正直受け止め切れてはいません。

受け止め切れてはいないけど、 毎日大好きな家族と一緒に過ごせて幸せです。

告知された時は、 自分には永遠にこんな穏やかな日々は訪れないと思っていました。

 

再発の恐怖は一生つきまとうだろうけど… このまま穏やかな日々が長く続いていきますように。

それを願わない日はありません。

 

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8月初めに初めて行った那智の滝

長寿のお水を飲んできたので、効果がありますように〜。

 

 

はじめまして

38歳で乳がんになってしまったゆきんこです。

 

発症してから約2年、 心の中に留めている気持ちを吐き出す場所として、ブログを始めることにしました。

 

●自分にもしものことがあった時のために。

●私の経験が、どこかでどなたかの参考になれば。

 

この2つを、このブログのテーマとして始めたいと思います。

 

再発に怯える日もあるけど、元気なおばあちゃんになれますように。

可愛い子ども達が大人になる姿を見れますように。

大好きな主人とまだまだ一緒に生きていけますように。

両親の老後の面倒を看れますように。

 

どうぞよろしくお願い致します。

 

 

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台風で飛行機欠航になり、沖縄旅行断念し、せめて旅行気分を味わおうと空港へ行った時の写真。

娘と息子「飛行機乗りたかった…」

私「同じく…」

逆効果だったかもしれない。笑