2【乳がん告知まで】まさか私が
「まさか私が」
告知された時、どれぐらいの人がこう思うのでしょうか?
私はまさに「まさか私が」とそっくりそのままその通りに、 そう思いました。
私は女性ホルモン受容体陽性の乳がんでしたが、女性ホルモンに関連する乳がんのリスク因子には全て当てはまりませんでし た。
初潮年齢が早い → 小学6年生の夏
出産歴がない → 2人出産
初産年齢が遅い → 27歳で1人目出産
授乳歴がない → 2人とも完全母乳で1年以上授乳
喫煙・アルコール摂取 → ゼロ
また、祖父母、父母、おじおば、近しい親族に癌の既往歴はありませんでした。
娘が小麦・卵アレルギーだったので、 添加物にも気を付けていました。
野菜中心の食生活でした。
ただ1つだけ、気になるリスク因子がありました。
「受動喫煙」です。
受動喫煙は乳がんの発症率を高める可能性があると言われています。
私の両親は、私が物心ついた頃からヘビースモーカーで、 家の中でも常に煙草の煙にされされている中で育ちました。
恐らく20年近く、 ずっと受動喫煙の煙を吸い続けていたと思います。
それが原因なのかはわかりませんが、両親のせいで癌になった「 かもしれない」と思ってしまうことが辛かったです。
それについて、自分の心の中で折り合いをつけるのがとても難しく、 時間がかかりました。
小学校高学年の家庭科の授業でしょうか。
煙草が身体に悪いこと、 受動喫煙で癌になるリスクが上がるということを聞いた私は怖くな り、帰宅後、母にこう伝えました。
「煙草はすごく身体に悪いからやめてほしい。 受動喫煙でも癌になるねんて。
大きくなった時に、 お母さんのせいで癌になったなんて思いたくないから、 今すぐやめてほしい。」と。
それに対して母はこう言いました。
「お母さんのストレス発散やねん。 これが無くなったら毎日めっちゃ機嫌悪くなるけどいい?」
お母さんは私が病気になるよりも、 自分のストレス発散の方が大事なんか… と思ったことを覚えています。
父親には言ったのか言ってないのか記憶はありません。
怒られるのが怖くて悩んだ末に、言えなかったのかもしれません。
このような経緯があったからこそ余計に、 両親への怒りが湧いてきてしまいました。
これだけ見るとひどい親に思えるかもしれませんが、両親が愛情をたくさんかけて大切に私を育ててくれたことは確かです。
特に自分が親になってからは、両親に感謝することばかりでした。
幼少期には海外に住んでいたのですが、2人揃って英語が全く話せなくて苦労していても、帰国後しばらくして会社が倒産しても、決して暗くならず明るく前向きに何不自由なく私を育ててくれた両親です。
感謝しかありません。
そんな感謝でいっぱいの両親に対して、怒りをぶつけたい気持ちがどうしても消せませんでした。
もし娘にそんなことを言われたら…私なら耐えられないし、 後悔してもしきれない。
どれだけ怒りをぶつけたくても、両親には絶対に言ってはいけない。
そう思いました。
告知から手術までの間に、たくさんの山を乗り越えたのですが、
今振り返ると、 両親への気持ちの折り合いの付け方を見つけることは、 私の中では大きい山だったと思います。
バケーション中もお仕事熱心な父。
休むことが苦手な昭和の熱血サラリーマンです。